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須藤ゆかエッセイ「犬もあるけば・・・」

'03.4.25
須藤 ゆか
【フリーライター】
黒石市生まれ。
週刊誌や月刊誌の取材・編集に携わる。Uターン後、フリーで、タウン誌、PR誌の取材など多方面で活動中。

■□ vol.17 (特別企画篇) □■


 28才の女性杜氏

     横沢裕子さんインタビュー

   〜 岩手県紫波町 「月の輪酒造店」



日本酒の出荷量がピークを迎えたのは昭和48年。1升瓶で10億本近く、国民1人が年間10本を飲んでいた計算になる。しかし、当時の日本酒は、もろみに糖類や大量の輸入アルコールを混ぜて割水をしたものがほとんど。

ためしに、ある年代以上の人に、昔の日本酒のイメージを聞くと、だいたいこんな答えが返ってくる。一升瓶、熱燗、おじさん、酔っ払い、独特のムッとする匂い・・・。当時の日本酒は、味わうよりも酔うためのもの、質より量を重視するような、およそスマートとは言い難い飲み物だったように思う。

ところが、昭和50年代に登場した吟醸酒によって、画期的なイメージチェンジが図られた。冷酒、小型のお洒落なボトル、グラス、果実のような香り、女性ユーザー・・・。時代が、ちょうどバブル期のグルメブームと重なったこともあって、日本酒は全国的な人気となった。

ちょうどこの頃、全国の蔵元を紹介する本を出版する編集者に連れられて、私は、西新宿にある「天狗舞」というお店に通っていた。ここは、石川県にある車多酒造さんの息子さんが経営している店だ。

その店で、生まれて初めて吟醸酒を飲んだ時の驚きは、どう表現したらいいだろう。まるで香りを閉じこめた不思議な水を含んだように、口の中にさわやかな味が広がる。「こ、これ、ホントに日本酒ですか?」思わず、口に出てしまった。この日以来、私のなかの日本酒のイメージは一変し、その奧の深さにすっかりはまってしまった。オーナーの車多陸朗氏は、日本酒がいかにおいしく、素晴らしい飲み物かを熱く語ってくれた。大変面倒見のいい方でもあり、おいしい日本酒を飲ませてくれるお店を見つけては、しょちゅう私たちを連れて行ってくれた。いつも懐に「マイおちょこ」を持ち歩いていたが、唇のあたる部分は、すり減って薄くなっていたのを覚えている。

当時は、車多さんから聞く蔵の様子や、他の蔵元さんから聞く話にも、女性の杜氏や蔵人は登場しなかった。相撲の土俵や、一部の宗教的な聖地がそうであったように、「酒蔵は女人禁制」といった風潮が強かったのだという。

ところが、最近は違う。男性に混じって蔵の中を駆け回り、造りに精を出す頼もしい女性が現れ始めた。
横沢裕子さん(28)も、そんな1人。南部杜氏発祥の地・岩手県紫波町で創業117年を迎える「月の輪酒造店」に、3姉妹の長女として生まれた。「昔は、古くさいものが嫌いで、家の仕事にも興味がありませんでした。押しつけられるのも、縛られるのも窮屈で、田舎から抜け出せるものなら、結局何でも良かったんですよ」。

高校卒業後は、服飾関係の道に進もうと、大妻女子短大の家政科服飾文化コースへ進学した。目に映るものすべてが刺激的な東京での生活。その一方で、日本の伝統的なものが無性に恋しいと思う、もう1人の自分に気づいた。

4代目当主でもある父・大造さんは、国税庁醸造研究所(現・酒類総合研究所)で研修を受けることを勧めた。そして、裕子さんが研究所で学び始めた頃、大造さんは、オーナー杜氏として自ら酒を造り始めた。その後、平成9年から、裕子さんは月の輪酒造店で修行を始めた。

「父は、オーナー杜氏の先駆けということもありますが、普通の人が考えないようなことを実践したり、杜氏の常識では考えられないようなことをする人なんです。『同じものができるなら、こうした方が能率的じゃないか』と、いかに省力化し、簡素化できるかを考えているんです。たとえば、醸造機械の設計も専門業者に頼むと高い、となれば、『同じようなものを、うちの蔵に合うように自分で設計しよう』と、考えるんですね」。

大造さんのそうした理念の背景には、裕子さんの祖父・義雄さんの存在が大きい。北大で農芸化学を学んだ義雄さんは、酒造りの理論にたけていた。今、ベテランといわれる杜氏さんたちも、「昔、あなたのお祖父さんに、酒造りを教わりによく蔵に行ったものだ」と、昔話をしてくれるという。「酒造りを熟知し、なおかつ省略化を考える」。そんな義雄さんの理念は、大造さんにしっかりと受け継がれたのだろう。

「今、酒造業界は大変厳しく、どこの蔵元も、お金や時間をかけず、人を減らしていかにいいものを造るか、ということを考えています。そういう意味で、父の話を聞きにきたり、設計したものを見に来る方も多いですね」。

また、大造さんは、とりわけ「酒造りの基本は米」という思いから、平成元年から地元の農家と共に、無農薬・無肥料の米、「ひとめぼれ」の育成に取り組み、その米を使って純米酒を造っている。「おいしくて健康に良いもの。なおかつ、うちなりの特徴が出せるものということで、力を入れていきたいですね」。

ところで、裕子さんが酒造りを始めて6年目となる昨年、初めて自分のお酒を造った。「月の輪 純米吟醸 愛山 Love Piro」。入手が難しいとされる、兵庫県の酒米「愛山」に出会い、イメージが広がった。
ネーミングは、酒米と自分のニックネームをくっつけた。

「出来映えはいかがですか?」と聞くと、「それが、まだまだ思うようにいかなくて・・・」と、裕子さん。「もっと華やかで、もっとしまりのあるものを目指したい」と、試行錯誤中だという。杜氏の道に向かって歩み始めた裕子さんにも似て、たくさんの可能性が秘められたお酒なのかも知れない。

「ご飯の時に飲んでも気にならないお酒、食べながら、楽しく飲めるお酒を目指したいです」と、裕子さん。
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造りにかかりっきりになる冬場以外は、全国で開催される日本酒の会にも積極的に出かけ、蔵のPRに努めるという。各地の人と交流することで思わぬ出会いの面白さがあるだろうし、日本酒業界全体のイメージアップにもつながるだろう。蔵の根底に根付いた、その土地ならではの風土や文化、お酒がつなぐ人と人の縁。そうしたものを含めて裕子さんは、今日も全国に日本酒の魅力を発信している。





※お知らせ
特集 地酒を探検する vol.3では、横沢裕子さんをはじめ、4つの蔵元さんが参加した「第2回蔵元さんを囲む会」の様子を掲載しています。こちらも、あわせてお読み下さいね。


●須藤ゆかエッセイ ばっくなんばー

『犬も歩けば・・・』
   


『津軽へのラブレター』