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| 弘前市上土手スクエアの隠庭(かくじ)にて |
70年代〜80年代初頭の東京ロッカーズ全盛期。NON BANDを率いてボーカリスト&ベーシストとして活躍していたNONさん。日本のパンク・ニューウェーブ界で、ガールズバンドの先駆けとして名を馳せた1人でもある。
NONさんこと、保坂則子さんは、もともと高校時代演劇をやってたこともあり、10〜20代にかけての数年間は、東京のアングラ劇場でお芝居をやっていた。その後、演劇から音楽に転向。
「ベースなんかろくに弾けもしないのに、『やってみない?』と誘われていきなりライブハウスで演奏しちゃったの(笑)。この頃から、演奏だけでなく、自分でも曲を作ってみようかなと思い始めたのね」。
79年にNON BANDを結成。その後、何度かメンバーは入れ替わったが、81年にはフリージャズの山岸麒之介氏がバイオリン、玉垣満氏がドラムとして加わり、トリオとしてのNON BANDのスタイルが定着した。82年にテレグラフ・レコードからリリースした25センチのミニ・アルバムは、インディーズのベストセラーとなる。
アルバムリリース後のツアーも盛り上がりを見せ、大阪城野音でのイベントでは、トリとして演奏するまでに。ところが、この時期を境に、玉垣氏がグループを脱退してしまい、NON BANDとしての活動は休止。活動期間わずか2年間という短さながら、その時代のインディーズ・シーンに強烈な印象を残し、いわゆる伝説のバンドとなったのだ。
その後も音楽活動を続けていたが、95年に故郷弘前に。そして、現在NONさんは、実家の画材店で働きながら、地元のライブハウスなどで音楽活動を展開中だ。
99年には、世界を舞台に活躍している灰野敬二氏、吉田達也氏らを弘前に呼んで、セッションを行った。翌2000年には、同じメンバーで東京でもライブを行い、好評を得た。
「なぜ、彼らほどのミュージシャンを弘前のライブハウスに呼べるのか?」
「ベースを弾いているあの女性は、いったい何者?」
会場を訪れた人たちは度肝を抜かれ、その吸引力に舌を巻いたそうだが、「それが(実現できるところが)アングラの威力なのよねえ」とNONさんは、こともなげに笑う。
これを機に、「長〜い充電期間を経て」(NONさん)、17年ぶりとなるNON BANDのライブを東京で行った。
昨年10月には、NON BAND以降の曲を収録した初のソロアルバムも発売。その他にも、敬愛する映画監督、画家、絵本作家などへ捧げる詞を自ら編み、それをベースに地元ミュージシャンらと即興でコンサート。シンプルなベースに津軽弁の歌詞をのせた最新作「美しき10代」は、ティーンエイジャーの子どもをもつ人なら、思わず共感させられる作品だ。
「1回ライブやるたびに、何か1つは新しいことに挑戦すること。それによって、わかること感じることが必ずある。やらないままだと、考えすぎて実現し損なうことも多々あるでしょう」。
最近は、NON BANDをリアルタイムで知らない若い世代もライブにやって来る。今年12月には、県内のクリエーターたちと何やらおもしろそうなイベントを計画中。「空間実験室『harappa+弘前劇場present』」というアートイベントを、青森市内の空き店舗を利用して行い、そこでNONさんもコンサートをやろうというのだ。
「今の仕事も大事にしたいから、しばらくはこういう生き方だろうなあって思う。でも、なにものにも縛られたくないし、もしかしたら何年後かはどこか別の場所で暮らしてるかわからない。今いるところで、今やれることにベストを尽くす。そんなふうでありたいですね」。
NONさんが最近注目しているのは、名誉や権力とは無縁の、市井の名も無き人々が漂わせる、圧倒的な存在感だ。
「ごくごく普通の場所でも、すごい存在感を醸し出していたり、いい空気を発している人がいるでしょ。たとえば、農家のおじいちゃん。私みたいな街育ちのペーペーなんて到底かなわないような、その人なりの歴史を積み重ねてる。それは、獅子舞のお囃子の人であったり、ねぷた押してる人だったり、みんなそれぞれの積み重ねがその人になっていくわけであって・・・。そんなことを感じ取りながら、自分自身ももっと柔軟になっていけたらいいなと思っています。たとえ、人に笑われてもどう評価されようと、自分の気持ちがどういうことに喜ぶか、それがいちばん大事じゃないかな」。
そんなNONさん。今年7月にある実行委員会を立ち上げ、11月末に行われるイベントに向けて奔走中だ。音楽とは直接関係のないものだけど、NONさんがずっとやりたくて温めてきた企画である。
こちらの詳細については、
近々UP予定の「Event In Tsugaru インタビュー『辺見庸 講演会実行委員会』NONさん」をぜひご覧下さい!