vol.7
「子連れでスキップ」
その1
幼児虐待のニュースが、連日のように報道されている。私は、自分が子どもを生む前までは、こうした事件というのは、きわめて特異な性格の持ち主、言わば鬼のような親によって引き起こされるものとばかり考えていた。
ところが、娘の出産を機に、その考えは根底から履がえされた。今から十数年前、私は夫の転勤で青森市に引っ越した。知り合いもいない初めての土地、核家族、専業主婦、育児書が頼り。絵に描いたような密室育児の典型である。夫は多忙な部署に配属になり、朝七時に出勤すると、深夜二時頃でなければ帰宅しない。
私は、常にいい母親でいなくてはという義務感から、少しでも育児書通りにいかないことがあると、自分自身を責め、土気色の顔で帰宅する夫に愚痴ってはワンワン泣いた。このまま社会から取り残され、置き去りにされていくのでは、という焦燥感。子育てに関する不安と自信のなさ。
閉じられた部屋の中で、親も赤ん坊も、酸欠の金魚さながら、天井に向かって口をパクパクさせてもがいているような限界の状態だった。
幸い、赤ん坊を虐待するまでには至らなかったが、あの状況がもっと続いていれば、どうなっていたかはわからない、紙一重の恐ろしさがあった。
ひと時代前までの虐待は「継母によるせっかん死」などに象徴されるような、ある種のパターンがあった気がする。しかし、子育てを取り巻く環境が変化した最近は、どうも様子が違う。とりわけ、密室育児に代表されるようなゆがんだ社会のひずみが、常人の心に鬼を増殖させている、そんな気がするのだ。
(その2へ続く)