vol.21
「子どもの物差し」
その2
知り合いのイラストレーターのM氏は、物心ついた時から、ありとあらゆるものに、片っ端から絵を描いていたと言う。最初は、チラシの裏や古カレンダーだったが、そのうち飽き足らなくなった彼は、自分の洋服、ご飯茶碗、果ては落ち葉や雪の上にまで描き始めた。彼の眼には、全てがキャンバスに映ってしまうのだろう。さぞ、親に怒られたのでは?と思うのだが、彼の父君は、家中、落書きだらけだったにも関わらず、「こりゃ面白い!どんどん描け」と、奨励したと言うのだ。
当時、小学生だったM少年は、ある日、友達とかくれんぼをしていて、路地で格好のキャンバスに出会ってしまった。銭湯の黒い板塀である。M少年は、かくれんぼも忘れ、夢中で描いた。日暮れて、呆れた友達はみんな帰ってしまっても描き続けた。
翌朝、風呂屋のご主人が、板塀を見てぶっとんだ。黒い塀に白い絵の具で、何やら無数の点々が描かれている。そこへ、お向かいの八百屋のおかみさんが、ドタバタと走ってきた。「いいから。とにかく、うちの店先から見てごらん」。風呂屋のご主人は、数メートル離れた位置から見て、再びぶっとんだ。それは、点描画の見事なモナリザだった。
息子から事情を聞いたM氏の父親は、菓子折を下げてM氏と共に風呂屋に謝りに行く。ところが、風呂屋のご主人は怒るどころか、「白い絵の具が無くなってしまっただろう。これで、お父さんに買ってもらえ」と、M氏の手に百円玉を握らせてくれたというのだ。
後に、美大に入学し、数年後ある新人賞を受賞した彼は、風呂屋のご主人に報告に行った。ご主人は、自分のことのように喜んでくれたと言う。
「謝りに行ったあの日サ、風呂屋のオヤジすげーと思った。子どもの物差し、わかってくれる大人って、カッコいいよな・・・」。
こんな話を聞くたび、子どもは親だけでなく、地域全体の力を借りて育っていくのだと感じる。地域のなかの一人として、自分も風呂屋のご主人の懐の深さを見習いたいと思う。
(終)