vol.30(番外編)
伝説の「NON BAND」の活動〜そして、今これに夢中ロックミュージシャン NONさんインタビュー
その1

70年代〜80年代初頭の東京ロッカーズ全盛期。NON BANDを率いてボーカリスト&ベーシストとして活躍していたNONさん。日本のパンク・ニューウェーブ界で、ガールズバンドの先駆けとして名を馳せた1人でもある。   NONさんこと、保坂則子さんは、もともと高校時代演劇をやってたこともあり、10〜20代にかけての数年間は、東京のアングラ劇場でお芝居をやっていた。その後、演劇から音楽に転向。 「ベースなんかろくに弾けもしないのに、『やってみない?』と誘われていきなりライブハウスで演奏しちゃったの(笑)。この頃から、演奏だけでなく、自分でも曲を作ってみようかなと思い始めたのね」。 79年にNON BANDを結成。その後、何度かメンバーは入れ替わったが、81年にはフリージャズの山岸麒之介氏がバイオリン、玉垣満氏がドラムとして加わり、トリオとしてのNON BANDのスタイルが定着した。82年にテレグラフ・レコードからリリースした25センチのミニ・アルバムは、インディーズのベストセラーとなる。 アルバムリリース後のツアーも盛り上がりを見せ、大阪城野音でのイベントでは、トリとして演奏するまでに。ところが、この時期を境に、玉垣氏がグループを脱退してしまい、NON BANDとしての活動は休止。活動期間わずか2年間という短さながら、その時代のインディーズ・シーンに強烈な印象を残し、いわゆる伝説のバンドとなったのだ。 その後も音楽活動を続けていたが、95年に故郷弘前に。そして、現在NONさんは、実家の画材店で働きながら、地元のライブハウスなどで音楽活動を展開中だ。 99年には、世界を舞台に活躍している灰野敬二氏、吉田達也氏らを弘前に呼んで、セッションを行った。翌2000年には、同じメンバーで東京でもライブを行い、好評を得た。 「なぜ、彼らほどのミュージシャンを弘前のライブハウスに呼べるのか?」 「ベースを弾いているあの女性は、いったい何者?」 会場を訪れた人たちは度肝を抜かれ、その吸引力に舌を巻いたそうだが、「それが(実現できるところが)アングラの威力なのよねえ」とNONさんは、こともなげに笑う。 これを機に、「長〜い充電期間を経て」(NONさん)、17年ぶりとなるNON BANDのライブを東京で行った。 昨年10月には、NON BAND以降の曲を収録した初のソロアルバムも発売。その他にも、敬愛する映画監督、画家、絵本作家などへ捧げる詞を自ら編み、それをベースに地元ミュージシャンらと即興でコンサート。シンプルなベースに津軽弁の歌詞をのせた最新作「美しき10代」は、ティーンエイジャーの子どもをもつ人なら、思わず共感させられる作品だ。 「1回ライブやるたびに、何か1つは新しいことに挑戦すること。それによって、わかること感じることが必ずある。やらないままだと、考えすぎて実現し損なうことも多々あるでしょう」。
(その2へ続く)


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