vol.39(最終回)
方言は愉し
その1

東京で過ごした学生時代、女子寮に住んでいた。こぢんまりとした造りで部屋数もさほど多くなく、公衆電話は1階の玄関脇に1台あるだけ。たまに実家から電話が来たり、こちらから連絡をつけたい時はこの公衆電話を利用する。 いつもは共通語で話す寮生たちも、この電話でふるさとの親と話すときは、お国の言葉がポロポロと出てくる。電話が置いてある場所は、お風呂場に行くための通路でもあり、私はよくそこを通るたび日本の方言の多彩さに驚いたものだ。 いつも、おっとりした性格の友人の口から、初めてライブで土佐弁を聞いたときの驚きは強烈だ。しゃきしゃきっとした粋の良さがありながら、悠々と水が流れるように伸びやかな独特のリズムが心地よい。父親が漁師だという彼女の話には、よく海の話が登場した。海といっても、南の海は青森のそれとは匂いも色も違う。彼女の土佐弁を聞くたび、私はまだ見たことのない南国の海をあれこれ想像したものだ。 私たちは、寮の仲間と面白がってよく方言を披露し合い、その魅力にどっぷりつかって楽しんだ。沖縄、広島、栃木、福島、群馬・・・。彼女たちの方言のシャワーを浴びていると、その土地の風土や気候、地元の人たちの暮らし方が伝わってくるようで心地よかった。 新潟、北海道、秋田などの人たちと話すと、最後は決まって雪の話になる。高校時代に、雪に閉ざされたバス停で1時間近くもバスを待った話になった。雪国に暮らす人には珍しくない経験である。空からはにぎりこぶし大の雪がのそのそ降ってきて、あたり一面静寂に包まれる。冷たいはずの雪なのに、不思議と何かに抱かれているような安堵感がある。「まあ、どう頑張ってみても、この雪には勝てないべさ」と、妙に腹をくくった気持ちになるのもこんな時だ。 当然のことだが、この感覚は南の人たちにはわからなかったようだ。ちょうど、私が南国の海の凪を想像し得なかったように、だ。
(その2へ続く)


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